山陽本線優等列車沿革(さんようほんせんゆうとうれっしゃえんかく)とは、山陽鉄道による開業より山陽本線を経由して運行された特急列車・急行列車・準急列車の運行の沿革を主に記載する。
なお、以下のものについては、2009年現在運行されているないしは、それとの関連性が高いものについては記載を除外しているものがある。また、主に東京圏を始発・終着とし、東海道本線から直通した列車に関しては東海道本線優等列車沿革の項目も参照されたい。
山陽本線(在来線)の別線とされた山陽新幹線(新幹線)の列車群・・・当該項目及び「のぞみ」・「ひかり」・「こだま」の各列車項目。
主に宇野線・宇高航路を介しての本州対四国連絡列車・・・マリンライナー。
列車の沿革 [編集]
山陽鉄道時代 [編集]
1888年(明治21年)11月 現在の山陽本線を建設・運営した私鉄である「山陽鉄道」が、初の開業区間である兵庫駅?明石駅間を開通させる。
1889年(明治22年)9月 山陽鉄道は神戸駅?兵庫駅間を開業させ、官営による現在の東海道本線と連絡するようになった。
1894年(明治27年)10月 山陽鉄道が、神戸駅?広島駅間(この年6月に開業)に日本初の長距離急行列車を運行開始。この当時は急行料金は徴収せず、普通列車同様乗車券のみで乗車できた。神戸?広島の所要時間は上下列車それぞれ8時間47分・56分であった。
1895年(明治28年)10月 急行列車は官営鉄道東海道本線に乗り入れ、関西の発着駅を京都駅とする。(後には大阪駅発着の列車も設定)
1899年(明治32年)5月 当時昼行・夜行あわせて4往復あった急行列車の内1往復に日本初となる食堂車を連結。
1900年(明治33年)4月 夜行急行列車1往復に、日本初となる寝台車を連結。
1901年(明治34年)5月 山陽鉄道が神戸駅?下関駅間を全通させる。4往復の直通急行列車が設定され、うち1往復は「最急行」と呼ばれ特に高速で走った。神戸?下関間の最急行の所要時間は上下それぞれ12時間35分・40分であった。
1903年(明治36年)2月 最急行は神戸?下関間の所要時間を上下それぞれで11時間30分・20分にまで短縮、日露戦争前の最高記録となった。
1904年(明治37年)7月 日露戦争勃発の影響により、急行列車が全廃。
1905年(明治38年)8月 官営鉄道の東海道本線と乗り入れ、新橋駅?下関駅間直通の急行列車を登場させる。しかしながら時期尚早だったのか、3ヶ月で廃止となった。新橋?下関の所要時間は上下それぞれ35時間16分・5分だった。
1906年(明治39年)4月 「最急行」が復活、しかし神戸?下関間の所要時間は13時間30分前後と戦前よりだいぶ遅くなった。
1906年(明治39年)12月 山陽鉄道、 鉄道国有法の公布により国有化。
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鉄道国有化後 [編集]
1907年(明治40年)3月 新橋駅?下関駅間に直通の急行列車である5・6列車を設定。全区間所要時間は上下それぞれ26時間55分・28時間45分であった。
1912年(明治45年)6月 新橋駅?下関駅間に、日本初となる「特別急行列車(特急列車)」の1・2列車が運行を開始した。この列車に乗るには乗車券の他に特別急行券を必要とし、山陽本線では初の有料速達列車となった。新橋?下関間の所要時間は上下がそれぞれ25時間8分・15分であった。
1919年(大正8年)8月 東京駅(1914年<大正3年>12月に開業し、新橋駅に代わる東京のターミナル駅となった。)?下関駅間にそれまでの食堂車が高級な「洋食堂車」であったのに対し、大衆向けの「和食堂車」を連結した急行列車である、3・4列車が設定される。
1923年(大正12年)7月 東京駅?下関駅間に、それまでの特急列車であった1・2列車が一等車・二等車のみの編成だったのに対して、大衆が利用していた三等車のみで編成された特急3・4列車が新設される。食堂車も1・2列車が洋食堂車だったのに対して、3・4列車は和食堂車だった。